まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
「 椰子の実 」(やしのみ)は、 島崎藤村 が 明治 時代に執筆した 詩 。
『初恋』は、藤村が25歳のときに初めて出した詩集「若菜集」に収められています。
岐阜県生まれ
その頃の詩の世界は非常に狹い不自由なもので、自分等の思ふやうな詩はまだ/\遠い先の方に待つてゐるやうな氣がしたが、兎も角も先蹤を離れよう、詩といふものをもつと/\自分等の心に近づけようと試みた。默し勝ちな私の口脣はほどけて來た。 島崎藤村は、明治32年(1899年)4月から明治38年(1905年)3月までの6年を、小諸義塾の英語・国語教師として小諸で過ごした。 藤村は、千曲川近くに建つ中棚鉱泉および隣接の「水明楼(小諸義塾塾長・木村熊二の書斎)」を度々訪ねたといわれる。 歌詞は、明治38年(1905年)に発行された島崎藤村の詩集「落梅集」冒頭に収められた同名の詩が用いられている。藤村が29歳の時に小諸城址の懐古園(かいこえん)で詠んだ旅愁の詩。 写真:小諸城址 懐古園 三之門(出典:Wikipedia) 同詩は、五木ひろしの
そんな詩人 島崎藤村
わかれゆくひとを をしむと こよひより
作者の島崎藤村は、明治から昭和にかけて活躍した文学者です。
国語の教科書などでも、おなじみの詩ですね。
小諸なる古城のほとり
「若菜集」より
同じころ出版された藤村の別の
島崎 藤村(しまざき とうそん)明治5年~昭和18年、岐阜県生まれ。
旧〔もと〕の樹は生ひや茂れる
当初書き下ろしの予定だったが、 二葉亭四迷 の勧めで、 1908年 4月7日から8月19日まで「 東京朝日新聞 」に連載、10月に 緑陰叢書 第二篇として自費出版した。
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり